第32話 9年勤めた勤務先を退職する気持ち!

第32話

9年勤めた勤務先を退職する気持ち!

2019年3月31日。
9年間、院長として勤めた勤務先を退職する。

色々な思い出が走馬灯の様に駆け巡る。
明日からはここに来なくて良いらしい。
信じられない。
9年間の日々は本当に色々なことがあった。

2010年、オーナーが梅田の診療所を購入し、そのクリニックを「岩下やってみないか」と言われた日を思い出す。

オーナーの車の中で話をしたのを今でも覚えている。
大阪の中心、梅田のヒルトンプラザで自分が診療をするなんて、夢のような話だった。
それはまるで告白、いや結婚を申し込まれたような気持ちだ。

しかも、ヒルトンプラザウエストのビルには少し思い入れがあった。
実は大学生時代、北海道は時給が安かったので、夏休みは大阪に帰ってきてバイトをしていた。
一夏で30万位稼いで、大学での生活費の足しにしていた。まるで出稼ぎだ。

建築現場で肉体労働をしていたので、毎日、ヘルメット、安全帯、つま先に金属が入った安全靴を履いていた。
そのアルバイトの現場の一つにこのビルがあり、夜中の什器の搬入や、セメント運んだり、石膏ボードを運んだりした現場だ。

そんな場所にまさか自分が院長として、働くことになるなんて!!!嬉しい!!!

でもその反面、卒業3年目の私にはかなりのプレッシャーだった。

しかし、何かの縁を感じたので、私は院長を引き受けた。

入ってからはすごく大変でした。
居抜きの医院だったので、前の患者様も引き継ぐことになっており、その対応に1年半苦労した。

梅田の人気商業ビルなので、ビルの規定が厳しく、日曜日も祝日も休診できないという厳しさ。

院長2年目からは働きながら、大阪大学の社会人大学院に入学し、毎日臨床しながら大学では研究をするという二足のわらじを履く日々を4年間過ごした。

クリニックは全て自費診療ということもあり、求められる技術も高く、技術習得のため月2回は必ず全国のセミナーに走り回っていた。

プライベートでは結婚して子供も授かり、父親にもなった。
出産2日後、妻が1ヶ月の入院となり産まれたばかりの娘の事で妻の母には大変お世話になった。
2足の草鞋の私は診療後に妻の冷凍された母乳を病院に取りに行く係りだった。

退職する最後の1年は売上を過去最高に仕上げ、SEOの集患の仕組みも充実させておいた。
次の院長も超優秀で2年かけて、アルバイトに来てもらい引き継げる準備ができた。

やれることはやった。。

濃密な約9年間だった。。
ありがとう。みんな。
楽しい事、辛い事、全てが上手くいかなかった時期もあった。
でも、全てを乗り越えることができた。

次のステージも色々なことがあるに違いないが、ここで鍛えた経験と自信で次もなんとかなるはずだと心から思えた。

「絶対に成功する。どんな苦難も受け入れる」

さぁ、明日は4月1日!!

あっ俺、明日から無職じゃん(笑)

(2019年3月31日の出来事 開業まであと3ヶ月)

〜ちょっと先輩からのアドバイス〜

辞める時って不安になりますよね!
人は新しいことに挑戦する時、不安になります。
でも、人って不確実なところにどれだけ身をおけるかで成長できます。
不安な時こそ自分が成長できるチャンスです。